民族紛争
2017年08月17日
最近、バルカン半島の歴史に関する本を読みました。バルカン半島とは、ヨーロッパとアジアの間の地域で、国家で言うと南はギリシャ、北はスロベニア、クロアチア、ルーマニア、セルビアまでのエリアを指します。このエリアはヨーロッパの火薬庫と言われるぐらい民族紛争が絶えない地域です。現に第一次世界大戦が勃発した原因がバルカン半島の民族問題なのですから。
読み進めているうちに民族と国家が複雑に絡み合い、日本人には想像できないことばかりにぶち当たります。日本の領土の約2倍の面積に約7000万人が住んでいるのですが、以前存在していたユーゴスラビアが「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と言われるぐらい、多数の民族が存在しているのです。チトーのようなカリスマ政治家が国家を束ねていた時は異民族との融合に成功できてもそれが崩壊すると、民族間の紛争が起き、収拾がつかなくなります。民族間の紛争が高じて民族浄化という名のもとにジェノサイド=大量虐殺が行われたことは忘れることが出来ません。
我々日本人が、日本人であると自覚をしたのは恐らく明治維新前後、一般庶民はもっと後になってからでしょう。ヨーロッパ諸国と比べ国家の意識がなかったのは日本が島国であり、他の民族からの襲撃がほとんどなかったことも影響しているのかもしれません。また、外国の開国に迫られて日本が一つの国家となり政府が富国強兵に励むことが出来たのも、日本国内にこのような大きな民族間の紛争、宗教の対立、言葉の違い、文字の違いがほとんどなかったことが原因なのでしょう。その意味では日本は大変恵まれた環境にいたことを自覚しなくてはなりません。
今、ヨーロッパが抱えている問題は、バルカン半島で過去行われてきた民族紛争のヨーロッパでの再現になるかもしれないということではないでしょうか。テロ、シリア難民、これがもし仮に過剰なナショナリズムの進行につながれば可能性はゼロではありません。
人口の減少局面に立たされている日本にとって移民政策も選択肢の一つとして考慮しなくてはならない問題ではありますが、この移民政策が民族間の紛争につながっては目も当てられません。人という生き物は異種に対して攻撃したり、仲間外れにしたりする本能を持っているのでしょう。これをコントロールする能力がない限り、紛争が終わることがないような気がします。
シリア難民問題、ロシアのウクライナ介入問題、世界中で絶えない紛争には非常に複雑な国内紛争が存在しています。民族、宗教、言語が異なる中で制度としての「国家」は存在意義があるのか?難しい問題ですね。