東京オリンピック
2013年09月08日
遂にやりましたね。2020年に東京でオリンピックが開催されることになりました。日本人にとってこんなうれしい出来事は最近経験していないのではないでしょうか。今やオリンピックは4年に一度行われる世界一の大きなイベントと言っても過言ではありません。それが7年後、この日本の首都、東京で開催されるのです。日本のバブル崩壊後、失われた20年とも云われ何となく停滞していた雰囲気を吹き飛ばす出来事になることは間違いありません。49年前の東京オリンピックをきっかけに日本の高度経済成長が始まったように、今回のオリンピックをきっかけに新たな日本の成長を日本人が作っていかなくてはなりません。
しかし、「勝てば官軍」ですね。4年前、世論を含めマスコミはオリンピック招致に東京が敗れたときプレゼン企画料として5億円を払ったのはやり過ぎだと関係者を吊し上げしていました。それが今回招致が決まれば一変して勝因はプレゼン内容が最高だったと褒めちぎるんですから。結果を出さなければ何を言ってもダメという事なんでしょうね。
今回の招致活動を含め東京にオリンピックが開催される最大の功労者は誰かといえば、それは間違いなく石原慎太郎議員でしょう。彼が2016年東京オリンピック構想を提唱してから「オリンピックを東京で」という夢が始まったのです。残念ながら最初の夢は実現しませんでした。私は4年前のIOC総会での開催地投票で4候補地の内、2番目に落選した時の何とも言えない無力感を感じたことを今でも忘れられません。ほとんどの日本人がそうだったのではないでしょうか。だからこそその落胆が怒りに代わり「何でそんな無駄な金を使うんだ!」などというマスコミの論調になり犯人探しのようなことが行われたのでしょう。ちょうどその頃、民主党政権下で仕分け作業なるものが行われ蓮舫議員の「何故1位じゃなければいけないのでしょう?2位じゃダメなんですか?」が話題になりました。2位じゃ永遠にオリンピックの開催地にはなれませんからね。そのような何となく日本においてあきらめムードが蔓延る中、諦めることなく2020年もオリンピック招致を唱えたのは前都知事の石原氏です。その熱意がその後を継いだ猪瀬知事に、日本政府に広がり今回の招致成功となったのです。
私はあまり政治家の良し悪しを話すのは好きではありません。しかし、今回の件では本当に感動しました。今回の招致活動は多くのアスリートや招致委員となった人たちの活躍がなければ絶対に成功しなかったでしょう。しかし石原氏が「今の日本人は元気がない。東京でオリンピックをやろう。」と言わなければ何も始まらなかったのです。彼がいたから東京でオリンピックを見ることができるのです。リーダーとはどうあるべきか、それを教えてくれたのが石原慎太郎氏です。
石原さん、夢を有難うございます。
