政治家というのは
2016年01月30日
甘利大臣が辞職しました。その記者会見を見ていましたが、政治家というのは大変な職業ですね。ちょっと想像してください。会見を申し込んできた企業のトップが持参した菓子折りの中に五十万円のキャッシュが入っているという光景を考えたらぞっとしませんか?少なくとも私の常識の中では考えられません。また仮にそういうことが起こった場合、普通の感覚ではそのお金の意味を考えるのではないでしょうか?一万円、二万円の金額ではないのですから。何かをした報酬なのか?それともこれから何かをしてくれという見返りを求めているのか?単なる寄付であれば菓子折りの中に入れないで堂々と渡すはずです。わざわざ菓子折りに紛れて大金を渡すなど、渡した側は時代劇に出てくる悪代官に賄賂を渡しているあくどい商人と何ら変わりません。もし私が大臣の立場なら、そのトップに連絡を取り、どういう意味でのお金なのかを問い正すはずです。そしてもし何かの見返りを求めたお金なら丁重に断ります。ところがお金が入っていることを知った大臣の一言「適法に処理してくれ」。ちょっと一般の常識から逸脱していますよね。それが政治の世界では当たり前なところが恐ろしいです。
お金には色があります。贈与なのか?報酬なのか?献金なのか?寄付なのか?それを明確にせずお金はお金という考え方をしなければならない世界があるのですね。
甘利前大臣は嵌められたという考え方もあるでしょう。週刊誌にこれだけ詳細に証拠を提示しているところを見ても計画性を感じ恐らくその考えは「中らずと雖も遠からず」なのでしょう。しかし政治というのはどうしてこうもお金が掛かるのでしょう?以前、代議士は私設秘書を公設秘書以外に20人近く雇っているという話を聞いたことがあります。なんでそんなに秘書が必要なのかというと代議士の選挙区で発生する冠婚葬祭などに必要なのだそうです。この話は十数年前に聞いた話ですから現在はどうかわかりません。しかしそれが本当だとしたら政治資金というのは何とも悲しいお金ですね。選挙区の冠婚葬祭に秘書が代理で立ち会わないと選挙で落ちるのでしょうか?選挙に当選するために秘書を雇い選挙区を回らせ、選挙民の色々な陳情に耳を貸さなければならない。政治家としての実績よりも草の根の選挙活動が大切、その為にお金がいる、そのお金を集めるために八方手を尽くして献金を募る、政治というのはこうも業の深い職業なのですね。「日本を変えたい!良くしたい!」という志があってもその現実に対処しなければならないわけですから。
前大臣が記者会見で発言していた言葉が印象的です。「良い人だけしか付き合わないとしたら選挙に落ちます。明らかに悪い人、反社会的勢力とわかっていたら付き合いません。しかし、良い人か悪い人かわからないからといって付き合わないわけにはいかないのです。」
甘利前大臣はTPP交渉でも身命を賭して頑張った人です。そんな人がこんな形で辞任しなければならない政治の風習を変えることはできないのでしょうか?