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社長のひとりごと

プリンセススクゥエアー
代表取締役 出口博俊

鳥羽に向かいながら

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2016年04月14日

 今日、友人が鳥羽のホテルでジャズのリサイタルをするということでその演奏を聴くために20年ぶりに鳥羽に向かっています。その車中、懐かしい思い出がよみがえってきました。それは、21年前の出来事です。その頃、6月末が決算の当社は7月年頭の会議を観光地で行う習慣がありました。21年前(おそらく)の7月は、熱海で行いました。夕方から1年の目標会議を行い、その後、キックオフパーティーという予定でした。私は当時営業の責任者として段取りを取り仕切り、我々社員は一足早く到着し、幹部一同で後から来る社長、グループ会社の社長を迎える段取りを取っていました。当日は滞りなく行事は進みパーティーを終えたのですが翌日、早朝からゴルフに出発する社長と来賓の社長を見送ることまで気を回すことができませんでした。社長の出発を知らせる社員に起こされて駆けつけた時にはもうすでに社長は出発直前でした。押っ取り刀で髪の毛も寝癖だらけ、浴衣は乱れ、コンタクトレンズも入れない状態ですから社長の顔さえまともに見えない(確か眼鏡も部屋に忘れてきたはずです)ような状態で駆けつけた私に対して社長が一言。
「見送ることができないなら、出迎えなどするな」

 「画竜点睛を欠く」とは正にこの事です。事前に準備を怠らず年頭会議を企画した「結末がこれかよ」と非常に肩を落とした記憶があります。その翌年の年頭会議の場所がここ鳥羽でした(正確には賢島だったかもしれません)。その年は、前年と同じ轍は踏むまい と、私は6時過ぎに出発する社長を見送るがために全幹部を6時前に招集し、深夜まで飲んでいたマネージャーが居眠りをしながら待機している姿を今でも鮮明に覚えています。
 今となっては、社長を幹部一同全員で出迎え、見送るなどという習慣は当社にはありません。しかし、この件から学ぶべきことはあります。中途半端はサービスをするくらいなら最初からやらないほうが良いという・・・・
 あれから20年という歳月が経ちました。車中、このエピソードから、色々な出来事や思い出がよみがえってきます。しかし、思い出というものは楽しかったことより、へまをしてしまったことや、上手く行かなかったことのほうが記憶に残っているものですね。

「傘屋の丁稚」と「油屋の小僧」という駄洒落があります。骨折って叱られる、油売ってほめられる、というまあ正反対のことですが私にとっては、人生の思い出として記憶に残るのはやはり「傘屋の丁稚」としての失敗なのかもしれません。
 そんなこんなを考えながらリサイタルを聞きに行ってきます。

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