事実は小説より奇なり
2016年05月09日
最近、私は警察内部の話を中心にした警察小説で有名な小説家横山秀夫さんの小説を読んでいます。その中でもとりわけ面白い「64」という小説が映画化されます。この小説は傑作ですが、主人公の心理描写がデリケートで難しくどんな映画になっているのか楽しみです。
しかし、この小説の中で最近実際に発覚した事件にオーバーラップするシーンがあります。「64」というのは昭和64年に起こった誘拐殺人事件を指します。この事件が未解決のまま14年が過ぎ、あと1年で時効を迎える平成15年を舞台に警察内部の確執や14年前の事件に似た新たな事件を描いているのですが、現実の事件とオーバーラップするのはこの小説の中で14年前に起こって未解決になっている事件の影に、事件捜査で警察官が犯してしまった重大なミスがあるのです。このミスは確かにあってはならないミスなのですが、それよりもっと問題なことはそれを警察幹部が隠ぺいしてしまうのです。そのミスがなかったら犯人を逮捕できていたかもしれないような重大なミスなのでそれが明らかになれば警察はマスコミの餌食になってしまうことを恐れた行動なのですが、この隠ぺい工作を以来14年間歴代の捜査関係者のトップが引き継いでいくというシーンがあるのです。仮に容疑者が逮捕できた場合、その隠ぺい工作をしたミスをその容疑者が知っていれば秘密の暴露にあたるので引き継いだのか、そのあたりは明らかに描かれていませんが歴代のトップがその隠ぺいを引き継ぐというのは最近次々に実際に起こった、東芝の利益水増し、三菱自動車のデータ改ざんに似ていませんか。どの位の地位の責任者がこの事実を知っていたのかわかりませんが、必ず知っていた責任者がいてその不正を引き継いだ責任者がいたはずです。特に三菱自動車に至っては20年前からデータ改ざんをしていたというのですから改ざんを引き継いだ責任者は何人にもいたはずです。
これは、考えてみると恐ろしい事ですよね。小説の中の話ではありません。現実に起こったことなのです。国で定められた基準と違う三菱自動車の社内の基準でデータを収集していたのですから、そのデータを計測する社員が、そのデータの計測の仕方が国の基準と異なる基準だという事実を全員知らなかったなどありえない話です。何人もの人間が知っていて、しかも20年以上前からその事を隠蔽し誰一人として改善をしようとしなかったということですから。自動車を納品した日産自動車が指摘しなければ未だに、発覚してないということですよ。「事実は小説よりも奇」なりです。
幾世代にもわたり、不正データを公表していたということですからこの事件は偽装行為の遺伝ということになります。中小企業ならまだ理解できますが世界的に認知されている大企業が集団で世代を超えて不正を引き継ぐなどこれはもう文化です。このような常軌を逸した企業文化は一体どうしたらできるのでしょうか。この事件は下請けを含めると数十万人の生活まで狂わせる可能性があるのです。いったいこの代償は誰が償うのでしょうか。組織ぐるみの犯罪は、個人の犯罪より罪深いのですがその組織に関わった人たちの罪の意識が欠如していますね。他山の石にしなければなりません。