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代表取締役 出口博俊

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2012年04月09日

先日、あるお客様から贈り物をいただきました。それはボストンマラソンの記念ジャンパーです。私がマラソンを走っているということを聞き、お客様自身がボストンマラソンの取材時に手に入れた練習用のジャンパーをプレゼントしてくださいました。本来なら礼状を書くべきところ他の方々へも読んでいただきたく独り言に書きます。
 私は毎朝、5キロ走っています。その為寒い朝にはこのジャンパーを着て走ろうと寝室のクロゼットのフックにかけています。ですから毎朝起きるたびにこのジャンパーが目に入ってくるのです。ジャンパーには、「101ST」という文字が。「101回?そんなに長い間マラソン大会をやっているの?」日本でいうと明治時代です。「日露戦争の前からマラソン大会開催しているなんてすごいね。」などと考えてボストンマラソンを調べてみるとなんと初開催は1897年、今年で116回目、マラソン大会では世界最古のマラソン大会でした。(そしてこのジャンパーは開催100周年の記念ジャンパーだったのです。そんな貴重なジャンパーを毎朝のジョギングで使うなんてありえません。人の話を聞いていないとこんなことになります。)私の祖母が1900年生まれですから祖母が生まれる前から続いているんです。当時はどんな靴で走っていたのかな?などと想像しているうちに「じゃ日本の最古のマラソンレースは?」という疑問が生まれこれも調べました。答えは「びわ湖毎日マラソン」。初開催は1946年10月。昭和21年、終戦から一年余りで行われたのです。当時はびわ湖ではなく大阪府で開催されたようです。またまた「大阪、マラソン、終戦直後」と連想していって思い出したのが父のことです。父は私が小学生時代、しばしば学生時代マラソンを走った話をしていました。父が走った大会は「朝日マラソン」と言っていた記憶があります。また、大会は静岡で行われ、参加費が米だったとも。父は現在脳梗塞を患い、話ができる状態ではないため私の記憶を頼りに調べてみました。そしてわかりました。父の走った大会が。毎日マラソンの初開催の一年後の1947年に始まった現在でいうところの「福岡国際マラソン」です。当時は「金栗賞朝日マラソン」という名称で毎回開催地が変わったらしく第一回は熊本、第二回は高松、静岡で開催された1949年の第三回大会でした。昭和24年、父が17歳の高校生の時です。
 我々は歴史を生きています。しかしそれを意識することなく生きています。しかしある時その足跡を歴史で確認できると歴史と人生がつながるのです。父の人生が歴史とつながった時、この時代を懸命に生きていた父が想像でき感無量の気持ちになります。父は私が少年時代、このマラソンの話を耳にタコができるほど聞かされました。「何回棄権しようと思ったか。しかし俺は投げ出さなかった。最後まで完走した。完走者の中ではビリだったけど。それが俺のその後の人生を変えた。それ以来、俺はどんなことでも投げない、逃げない、投げ出さない」と。私は当時父の話を畏敬の念を持って聞いていましたが、まさか40年後私自身が自分の意志でフルマラソンを走るようになるとは想像もできませんでした。
 今回のジャンパーのプレゼント、私にとってはお客様をメッセンジャーにした父からのメッセージのような気がします。そして「投げない、逃げない、投げ出さない」というタスキをもらった駅伝選手になった気分になりました。
ありがとうございます。
 頑張ります。

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