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プリンセススクゥエアー
代表取締役 出口博俊

光と影

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2017年12月16日

 先日、所謂日本の「失われた10年」とも「失われた20年」ともいわれるバブル、その崩壊について書かれた本を読み返す機会がありました。今から約30年前の出来事です。平成2年、大納会で日経平均株価が38,000円をつけたのを最後に、日本は奈落の底に突き落とされるような資産デフレに陥ります。バブル期、栄華を極めた企業を中心にその設立から崩壊までを描いた本です。読み返しながら当時のことを思い出してみました。バブルの絶頂期、私は駆け出しの営業マンでした。何の営業努力をしなくても不動産は売れていました。忘れられない思い出があります。神宮外苑前にある14平米のワンルームマンションを7,700万円で売却した時、「このマンションが1億円で売れる時代が来るのだろうか?」と自問し、背筋に冷たいものが走った経験があるのです。「異常事態はどこまで行くのか?そんなことになったらいったい日本へどうなるのだろうか。」と。
 やはり、そのような時は来ませんでした。その後の不動産デフレは想像を絶するものでした。名立たる銀行、証券会社が倒産の憂き目にあい、当時常識だったことが、見事に覆されたのです。(不動産は下がらない、や、銀行は潰れない等)
 後日、このバブル崩壊のきっかけとなった公定歩合の短期間での度重なる利上げ、当時の大蔵省の不動産融資に対する総量規制が批判の対象になりました。「あんなに急激に日銀、大蔵省がバブル退治に乗り出さなさなければ、バブルをうまくコントロールし着地できたはずだ」等ですね。当時は地価が値上がりし、一般庶民が家を持てないという不満もあり、バブル退治と称し短期間に公定歩合を上げた日銀総裁が、「バブル退治の鬼平」と持てはやされたのが嘘のようです。
 どんな政策も、手段も必ず光と影があります。全く副作用のない薬など存在しないように。もし、あの時、バブル退治の方法を変えていたら地価はソフトランディングできたでしょうか?私は、無理だったと思います。あの時代を新米とはいえ、経験した人間として言えることは一旦、バブルの狂気に沸いた民衆はその頭に冷水をかけられない限りその呪縛に気づくことが出来ないのではないでしょうか? 
 私はこのバブル退治、必要な政策だったと思います。この政策がなければ日本人は正気に戻れなかったのではないかと。
 一部日本人の「平和ボケ」の言動を聞くにつけ、他国からミサイル攻撃を受けなければわからないのではないか?と思うのは私だけではないでしょう。

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