代償
2019年01月18日
日立が、イギリスで進めていた原発計画を凍結するという記事が出ました。これで日本企業による原発輸出は全てが頓挫することになりました。この原因は勿論、2011年に起きた東日本大震災の原発事故の影響です。あの事故さえなければエネルギー供給環境は全く違う景色になっていたはずです。人間万事塞翁が馬と言いますか、それが将来的に良かったことになるのかどうか、この答えは後世に分かることであり今の我々には評価できないことです。しかし、地球温暖化の問題を抱えている人類にとって進むべきベクトルが大きく変更されたのは事実です。
その大きな岐路となった原発事故が、地震による原発施設の損傷ではなく、その施設を動かす電源が喪失したせいだというのは何とも皮肉なものです。予備の電源設備を津波の襲来に影響しない場所に作っていればこの事故は起こらなかったのですから、何とも悔しい限りです。「震度7の地震にも耐えられる原発施設」と評価されても、一旦事故が発生した場合のリスクの大きさを目の当たりにしてしまうと原発建設に前向きになれない状況を変化させることは大変難しいです。
「勝利の女神は些事にあり」と言います。一見どうでも良いと思われるようなことを大切にしている人間のみが勝利の女神を掴むができるという意味ですが、その正に逆があるのですね。小さな安全確認の積み重ねを怠ったり、想像できる「まさか」への対応を怠ると、とんでもない事態を引き起こし、もう二度と後戻りができないところまで行ってしまうことがあるのです。「災害の女神は些事にあり」とでも言うのでしょうか。
代償と言えば、日産の前CEOのカルロス・ゴーンさんもとんでもない代償を払うことになりましたね。報道されていることが事実だとすれば、犯罪が立件されるかどうかは別として経営者としては失格の烙印を押されたようなものです。自身の資産管理会社が負った債務を一時的にせよ自身がCEOを務める会社に肩代わりさせるなど、言語道断です。名経営者と言われる人物が、結果的に普通常識では考えられない公私混同をしてしまうのも、やはり些事の積み重ねの中なのです。
些事の積み重ねの中で、自分を見失う人がいかに多い事か。勝利の女神なのか災害の女神なのか、チャンスの女神なのか分かりませんが「些事に神が宿る」のは間違いありません。